以上のように専門家が設計施工し統制された美しさの遊歩道と違って、ここには自分たちで創りあげた自由な雰囲気があります。この事が遊歩道ができた由来と共に、私達の自慢なのです。
佐倉市の関係者の皆様、自由な遊歩道を認めて頂いて感謝申し上げます。
しっかり管理していきますので、これからも宜しくお願いします。
それにしても・・・「花壇・花畑」と言っても囲いの無いのが殆どで、感心するのは「下草刈り」の時、一緒に刈られずに残っていることです。そこだけ残す事のほうが難しく面倒だと思いますが、佐倉市の心意気に加え、管理を委託された業者さんの優しさでしょうか。「ありがとう!」ですね。
(3)プライベートな「花壇・花畑」が沢山あります
(これも個人が自由に植え・育てているのです)
この遊歩道が他に類を見ない決定的な差はここにあります。(先の花木と共に本当は大っぴらに出来ないのかも知れませんが・・・) 佐倉市が黙認しているのは、「遊歩道になる前の44年間営々と管理を続けてきた実績」を鑑みた「佐倉市の心意気」ではないかと思われます。
| 「やぶ椿」西コース |
「アジサイ園」はらトピア横 |
「はくもくれん」南コース |
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国はこの防風林の管理を地域住民(入植者)に任せっ放しでしたから、入植者達は管理のついでにそっと「楽しみの花木」も植えたのではないでしょうか。「はらトピア」横のアジサイ園のように、サークル活動の一環として管理している所もあります(双葉会)。そうした花木は今では最初からあった様な顔をして、すっかりこの中に溶け込んでいるのです。
(2)色んな花木が植わっています(個人が勝手に好きな花木を植えたからです)
2)入植者は全面に「松」を植え、管理を続けていました
総面積約7,000坪、植えるのも大変・虫害によって枯れた跡の補植も大変だったようですが、年数回の下草刈りはもっと大変だったと話されていました。(当時の松は殆ど枯れ、残っているのは「はらトピア」付近の赤松を中心に、4〜50本だけになりました)
1)元々は国有の防風林だったのです
国策で始まった軍用地(国有地)の農地化。国は幹線道路沿いの幅10間(18m)は国有地のまま防風林用地とし、防風樹木の植え付けからその管理まで、一切合切を入植者に任せました。
T、先ずこんな田舎町に、遊歩道があること自体驚きです。何故?
| この町の特徴は、「上志津原ふれあいどおり」という愛称の、総延長約1.3kmの遊歩道があることです。この遊歩道、出来た経過やそのたたずまいが大変ユニークで、この町の自慢でもあります。 |
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ふれあいどおりのこと |
| 改定(2007年4月) |
| 遊歩道は、上志津原十字路を分岐点に、南及び西に延びています。広く認知された呼称ではありませんが、パソコン倶楽部は「南コース」「西コース」で区分します |
(1)遊歩道に植わっている樹木の種類が「何でもあり」なのです
最初の植林は全部「松」でしたが虫害によってどんどん枯れ、枯れた跡に入植者達は思い思いの樹木を植えました。
桜が多いのは佐倉市の市制10周年を記念して(苗木の給付を受けて)一斉植樹をしたためですが、あとは銀杏・ヒノキ・ケヤキ・ポプラ等々「樹木なら何でもあり」の防風林になったのです。(松枯れの
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遊歩道の銀杏と赤松
そして平成10年佐倉市は当時の防風林の佇まいをそのまま生かした遊歩道を造ってくれました。翌11年に完成し「広報さくら」でその愛称を募って決まったのが「上志津原ふれあいどおり」というわけです。
4)防風林は佐倉市に移管されました
平成2年、この防風林は佐倉市に移管され、同時に国から44年間も任されていた、補植や下草刈りなどの管理も佐倉市に返上したのです。
5)辺ぴな町に何故遊歩道なの?
その訳は・・・払い下げを受けず、その後もひたすら 皆で育てた樹木を守り続けていたためでしょう。すなわち公有地のままだったことが遊歩道につながったのです。他の開拓団は払い下げを受けた後、私有地に分割され防風林も早々と消えてなくなりました。
3)国は防風林の払い下げをしましたが
随分「おいしい話」だったようで、他の開拓団はこぞって払い下げを受けました。でも何故か上志津原開拓団だけは払い下げを受けませんでした。
V、この「上志津原ふれあいどおり」は私達にとって・・・
安全な通勤・通学道路であり、近隣住民の皆様を含めた癒しの場所でもあります