こんな町です「上志津原」 ふれあいどおりの事
改訂:2012年2月15日

ふれあいどおりのこと
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 この町の特徴は「上志津原ふれあいどおり」という愛称の遊歩道があることです。この遊歩道は、そのたたずまいと共に出来た経緯が大変ユニークで、この町の象徴であり自慢でもあります。どの様にユニークで、何が自慢なのか紹介したいと思います。 

1、 中央のカギの字の樹林帯が「上志津原ふれあいどおり」です。
上志津原十字路を起点に西方向と南方向に伸びており、その幅は18mで長さは合計で1.3kmあります。
(上志津原の中心部の航空写真…インターネットから)


2、 「遊歩道が出来た経緯」・・・なぜこんな田舎町に遊歩道があるの?
1)元々は国有の防風林でした 1
この町上志津原は戦後の開拓から始まった町です。(詳細は「この町の生い立ち」に)  旧軍用地(演習場)を農地化する国策でしたが、国は幹線道路沿いの幅10間(18m)は農地にせず、国有の防風林用地として防風樹木の植え付けからその管理まで一切合切を入植してきた開拓団に任せました。
2)入植者は全面に「松」を植え、管理も続けていました
総面積7,000坪、植えるのも大変だったようですが、草刈機などない時分ですから下草刈りは特に大変だったようです。又、全国的な「松枯れ現象」もありその補植にはヒノキや銀杏なども植え、樹木なら何でもありの防風林になっていきました。  (当時の松は殆んど枯れ、今残っているのは「児童公園」付近の赤松を中心に15本程です)                  松枯れの詳細ページへ
3)国は防風林の払い下げをした事がありました
開拓区域は3,500km2という広大なもので、ここには多くの開拓団があり防風林も全区域に延々と続いていました。数十年前、国はこの防風林の払い下げをした事がありました。他の開拓団はこぞって払い下げを受けましたが、何故か上志津原開拓団だけが払い下げを受けませんでした。従って、その後も国有の防風林のまま黙々と管理を続け、それが何と 44年間も続いてしまったのです。
4)平成2年、防風林は佐倉市に移管されました
平成2年、防風林は佐倉市に移管され、同時に国から44年間も任されていた補植や下草刈りなどの管理も返上、代わって佐倉市が管理することになりました。
5)平成10年、佐倉市はここに「遊歩道」を造りました
翌11年に完成、「広報さくら」でその愛称を募って決まったのが「上志津原ふれあいどおり」という訳です。
※ なぜこんな田舎町に・・・それは
払い下げを受けず皆で植えた樹木をひたすら守り続けていた為です。(大変おいしい話だったのに…)
即ち、公有地のままだった事が「遊歩道」事業に結びついたのです。他の開拓団は払い下げられた後、私有地に分割され、防風林も早々に消えてなくなってしまいました。


3、 「ふれあいどおりのたたずまい」・・・樹木も花も住民が植えたものです
1)「ふれあいどおり」の樹木
 市営の遊歩道と言っても、上志津原の先人達が育んできた防風林の中央付近に、小道を敷設しただけのものなのです。 最初松の木だけだった防風林も、松枯れの後にはヒノキ・銀杏・ドングリなどの補植しました。即ち、ここの樹木の殆んどは開拓者が植えたものです。

 「樹木なら何でもあり」の樹相が景色のバラエティとなり、そのまま「上志津原ふれあいどおり」の緑として存続し、独特の「遊歩道」になった訳です。 (注:銀杏の一部とクスノキ計20本程は、遊歩道を造った時に佐倉市が植えたものです)
 
↓S29年市制施行記念スタンプ
2)「ふれあいどおり」の花木
何といっても桜が代表です。ホボ全域に植わっていますが、これは佐倉市市制10周年(S39年)を記念して開拓者総出で植えたものが元になっています。
 椿・ムクゲ・アジサイなども植わっていますが、これは松枯れを補植するとき開拓者の「出来心」が元祖でしょう。何しろ国から44年も全てお任せですから、楽しみに花木を植えたとしても文句は言えなかった筈です。

現在の花木の大半は、その後転入してきた人たちが勝手に植えたものが主の様です

3)「ふれあいどおり」の草花・花壇
最初は花木同様、開拓者が管理の楽しみのため密かに植えた模様ですが、その後は「ふれあいどおり沿い」の住民が、勝手に花を植えたり花壇を造ったりから始まったようです。本当は大っぴらにできないのかも知れませんが、任せっぱなしの国はこちらも(知らなかったのか)黙認していました。

 佐倉市に移管された後も花壇は健在で、それどころか草刈などの管理も市がやる事になりましたが、花は残して草刈してくれています。 佐倉市の心意気と、草刈を委託された業者さんの優しさでしょうか 感謝感謝ですね。 44年間の実績がそうさせたのかも知れませんが、これが他の遊歩道と決定的に違うところなのです。
勝手に植えた花や花壇・・・こうした花壇を「「プライベート花壇」と呼ぶ事にしました


4、 「ふれあいどおり」をキレイに
・・・以前からの活動
こうして出来た「ふれあいどおり」、安全な通勤・通学路であり、他所の人たちを含めた癒しの場でもあります。

 私達にとっても重要な存在ですから、奇麗に使おうという活動が上志津原町会ぐるみの活動として以前から続いています。
上志津原町会・・・班長の掃除当番 子供会・・・看板作り 双葉会・・・児童公園周りの清掃


5、 「ふれあいどおり」を安全に・より美しく・・・ボランティア活動  
それは佐倉市が提唱する「市民協働事業」が切っ掛けでした。市民協働事業とはボランティア団体などが、公共の利益を目的とする「まちづくり活動」のために、行政と対等の立場で取り組む事業の事をいいます。そして佐倉市はその事業を推進する団体に補助金を出しているのです。それを受けて誕生したのがボランティア団体「はらCoCoくらぶ」で、その中の「ふれあいどおり部会」は、遊歩道を“より安全に”“より美しく”しようとするグループなのです。その活動はH20年夏から始まっていますが、その一部を紹介します。
保全活動
遊歩道街灯の、照明の障害になっている枝葉の切除
施術前 施術後
他にも防犯上問題のブッシュの伐採や
ヤブカラシの除去などの保全
(写真は伸びすぎたアジサイの刈り込み)

このグループの活動は、テレビの特集番組として紹介されました(CATV296)
桜の大敵「天狗巣病枝」の切除作業 (写真は、放映された時のテレビ画面です)

美化活動
ふれあいどおりにはプライベートな花壇があると書きましたが、地面全体の99%以上はまだ雑草が生い茂る草むらです。ここを有効利用すればもっと素敵な遊歩道になるはずです。
その1・・・花壇を造ろう! こうして出来た花壇を「ボランティア花壇」と呼ぶ事にします
草むらの開墾作業 草むらが花壇になりました (現在6箇所)

その2・・・彼岸花を植えよう! 「彼岸花100万本計画」 
ふれあいどおりの落葉樹(桜など)の下は、草丈のあるイタリアンライグラスが蔓延っています。春先になると草丈は1mを超え、文字通り草ボウボウで設置してあるベンチは草に埋もれ、見通しも悪く防犯上でも問題でした。そこで「ふれあいどおり部会」は、イタリアンライグラスを彼岸花に変えようという「彼岸花100万本計画」をスタートしたのです。
5月中旬・・・イタリアンの刈り取り作業 5月下旬・・・彼岸花球根植え付け作業
 3年後、ふれあいどおりの方々で彼岸花が咲き始めています。H22年  植えて4年後(3回目の開花)H23年
市民協働事業で補助金がつくのは3年間、4年目に入ったボランティア団体に補助金はつきません。でもこの活動は続きます。佐倉市が造ってくれた自慢の遊歩道、これからも「もっと魅力ある遊歩道に…」・「彼岸花が100万本咲き乱れる里に…」の思いをこめて、これからも活動したいと思っています。 

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