この町の生い立ち
上志津原のあゆみ展
初版…2006年4月 改訂…2012年2月
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この町の歴史を振り返る、展示会が開かれた事がありました。
それが
「写真で見る上志津原のあゆみ展」です。

 昭和62年3月、当時の自治会館だった「青年館」で、町会主催による「写真で見る上志津原のあゆみ展」が開催されています。
 その時のポスターが右の写真ですが、当時の町会役員の意欲的な取り組みには感心します。
 展示会を開催した時の町会長は中山亜茂さんだったそうですが、当時の展示物(史料)は上志津中学校に寄贈されていました。
 それから19年後の平成18年3月28日、その中山さんの案内で、その時の史料を見せて貰いに同校を訪ねました。
 寄贈した史料は、史料室の壁にしっかり貼られていましたので、その中の主なものをデジカメで撮ってきました。
 この写真と、宮武さんに提供して頂いた史料を基に、19年前の「上志津原のあゆみ展」再現します。
(尚、他のページに掲載した史料と重複するものがありますが、ご容赦願います)

会場の青年館(自治会館)
    展示会を知らせる立て看板
町会の挨拶文

会場の様子
 会場のパノラマ図 右手から入って左回りの順路だった様です。  参観風景




主な展示品
軍用地時代の砲弾 穀物の風選装置の「とうみ」

主な史料(写真)他のページに掲載したものと重複するものがあります
入植者の合宿所…上志津原で最初の建物です(昭和21年10月 長谷川定房さん蔵)

開拓住宅…昭和22年春までに、皆同じ規格の住宅を造りました。
昭和23年頃(平山喜代子さん蔵) 昭和62年3月撮(築40年の開拓住宅)

開墾の様子…大地に一鍬一鍬の重労働でした
昭和22年夏 (長竹さんと長谷川さん) 昭和24年 (中原さん蔵)
全員集合!…S25年の新年会(金子さん宅)

あたり一面麦畑
S29年(あぜ道もあって畑らしく 工藤岩雄さん蔵)
お嫁入り…昭和30年 早野家から明地家へ(長谷川定房さん蔵)
このハンドトラクターは、上志津原の農業機械第1号でもありました

 昔の上志津原十字路…道路は見事な砂利道です。  運動会の放送席…草ボウボウの放送席ですね
後ろは瀬田商店…現在小森商店…(越坂部さん蔵) 防風林の松の大きさからS35年頃でしょう(鈴木丑男さん蔵)



当 時 の 通 学 事 情
 上志津分校…屋根は茅葺でした。(昭和31年 鈴木丑男さん蔵)
 開拓2世 長谷川明房さんの話

小学3年までは矢橋にあった、上志津分校に通いました。写真は屋根を葺きかえたばかり様ですが、普段は雨漏りがひどく「豚小屋」と呼んでいました。
 長谷川さんの話

4年生からは上座にあった志津小学校に通いました。
上座の学校は遠く、片道5〜6kmあったと思います。その上悪路、道を通れなくて土手を登ったり降りたり。行きは元気がありましたが帰りは疲れて、1時間半から2時間かかりました。

帰りは、水を飲むために高千穂神社によく立ち寄りました。あちこちに道草したのを憶えています。
 上座の志津小への通学風景 「あ〜疲れた 一休みしようよ」
ジャンケンに負けた子がカバンを担ぐのです

この辺1帯が過疎地だったので公共施設に乏しく、子供達は大変な思いをした様ですね。写真は展示会に出展されたものですが、記事は「上志津原たより」326号から抜粋しました。


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